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第三渡辺ふれあい文録

おでかけ日記

   
カテゴリー「埼玉県」の記事一覧

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平沼義之氏による立正大学環境科学研究所特別講演会についての覚書 (熊谷市万吉・野原)


縁あって私の母校である立正大学地球環境科学部(地理・99年卒)環境科学研究所特別講演会が、我々のトップランナーである平沼義之氏を招いて開催されることとなり、約15年振りに学校で「講義」を受ける機会がありました。

今回の特別講演会については、元々10数年来の「山行が」読者であった地球環境科学部Y講師からのオファーから、今回の講演会開催に繋がったとのことです。

「ヨッキれん流 山さ行がねがのウラ側見せます 交通調査ツールの活用方法」
というタイトルでの講演でしたが、内容としては、googlemapや地理院地図等web地図の特徴や旧版地形図の見方など、地図に関する解説がメインで、従来のイベントとは異なり「学生に向けた講義」という色が強く、正直なところ平沼氏もプレゼンの進め方に戸惑っていた感もありました。実際にY講師の講義の一環として「地域調査法」受講者にレポートの提出を求める「授業」でもありました。


さて実際の講演の内容で印象に残った箇所についてですが、web地図によっては「大字の境界線が表示されているものがある」ということを、立正大学の敷地を例に解説があった点です。


カシミール3D+数値地図50000(平成13年版)
平成19年に江南町は熊谷市に合併となりましたが、学校の敷地に「熊谷市万吉」と「旧江南町野原」との行政区の境界がありました。
熊谷市に合併後は行政界が無くなりましたが、「万吉」と「野原」との大字の境界が表示されるweb地図もある、というものです。

大学内の敷地がかつて熊谷市と江南町に分かれていた、ということは、我々の世代では立正大学熊谷キャンパスが含まれる1/25,000地形図「三ヶ尻」を使用した基礎地図学の授業があることから当然のように知っていたのですが、今回の公演で出席していた学生の反応が今一つであったことが意外なものでした。

ここで平沼氏らしい着目点があったのですが、かつての男衾郡と大里郡との郡界でもあった(明治29年に大里郡に併合)ことを解説していた点は流石でもありました。これは私も失念しておりました。

普段の「山行が」ファンや平沼氏のファン向けではない今回の講演会、氏にとっても初めての機会であり、非常にやり難かったものと思われます。講義として受けた学生もおそらく殆どが山行がや平沼氏を存じてはいないものと思います。

地理を学ぶ学生にとってどの点が参考になったか、面白く講演を聞くことができたのかは未知ですが、平沼氏の活動から何かしらの地理学との結び付きを得られればと思います。

今回の機会を設けていただきましたY講師と、情報提供いただきましたCさんには地理OBとして感謝申し上げます。

2015年7月16日受講





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関越自動車道上里SAに設置された非常電話BOXの案内標識フォントの違い(上里町五明)

高速道路などの自動車専用道路では等間隔で非常電話が設置されており、非常電話(116の2)という案内標識が掲示されています。

 
関越自動車道上里SA(下り)でみかけたBOXなのですが、実は正面と左右との面が微妙に異なっていました。受話器の形が違うのですが、「非常電話」のフォントも微妙に異なっていました。


右側の面。「電」の雨冠の処理が横棒で略されています。日本道路公団標準文字、「公団ゴシック」「高速道路フォント」とよばれる、高速道路上での案内標識に認識性を求めた当時の道路公団独自の字体です。


一方の左側の面では、雨冠が縦棒で略されていました。これ以外にも微妙な違いが確認できます。似て非なるものでしょうか、おそらく標識メーカーのオリジナルなのでしょう。


もう一箇所のBOXはすべての面が同じフォント(日本道路公団標準文字)でした。



近年は上記の日本道路公団標準文字が一般的なフォントである「ヒラギノ角ゴシック」に変更されています。一文字ずつ手作業でデザインされる文字の継承が出来ないということが問題の一つのようです。


丹荘駅の駅便 (神川町植竹)

昭和6年の国鉄八高線児玉-倉賀野間開通に伴って新設された丹荘駅。近年まで有人駅であったということもあり、当時の木造駅舎が雰囲気よく残されている駅の一つです。


赤い瓦屋根が目立つ駅舎は、典型的な田舎駅の装いといったところでしょうか。電話ボックスの存在も良い味わいです。


駅舎の隣に別棟で建てられた駅便所。これが今回の主役です。駅が新設された昭和6年当時から存在する、駅舎と似せて作られた小さな便所建築。どうやら駅舎の外とホーム、線対称にどちらからも利用できる構造のようです。


便所 LAVATORY


建物財産標

便所1号
昭和6年


掃除が行き届いているのか、汲み取り式ですがとても清潔感があります。


さすがに構造が男女共用とあって、駅舎の反対側に町が設置した公衆トイレがありました。

以下おまけ。


すぐ北側にある「鬼石街道踏切」傍には、丹荘村(当時)道路元標が残されています。

 2013年1月23日訪問

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